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正義を追及しているとしばしば独善に陥ってしまうことがあります。私も、若い頃はかなり独善的だったので、正義という衣をまとってしまうと、一直線に突っ走ってしまう気持ちは分かるつもりです。でも、若い人が突っ走るなら年配の専門家が、NGOが突っ走るならジャーナリズムが、その姿を鏡に写して見せてあげて、「見てごらん。ちょっと猛々しく独善に見えないだろうか?」と指摘したり注意したりする役割があると思います。

 氷水をかぶる類のものはもちろんだが、それをするしないは別として、そういうALSなど難病に苦しむ人たちが寄付を求めている活動に関心を持ってもらうのは優れたマーケティングである。問題は、寄付が続かないことだ。あるいっとき、感動してお金が集まったのだとしても、その翌年も、翌々年も、安価で画期的な治療法が確立するそのときまで常にお金は求められ続けている。何かにコミットするというのは、自分の人生が続く限り、自分の思っていることや理想とすることに対して、物事が改善するよう活動し続けるという意味だ。寄付というのはその一形態だが、同じ寄付をするのであれば、問題が解決に向かっていくのだというものを見届けるコミットだと思っているので、求められる寄付の全部に対してコミットできないことを理解しない人たちが提案してくるときほど困ることもない。

 社会活動や、公の財産を自治体ではなく企業が携わるというのは、私はあまり好まない。自治体もそうだが、企業は一層採算に縛られる。介護事業しかり病院運営しかり自治体物販しかり、その地域の人たちのコミットを引き出し、世の中をより便利にするための創意工夫の場として企業を立てる、活用するというのは良いのだが、往々にして、企業は不採算を理由にコミットした内容を放り投げる。というか、そもそも介護自体がカネになるものではない。当たり前だ、資産もない死にゆく老人の介護に国や自治体がお金を払うのは、それが非効率であり採算が取れないけど社会的に必要な事業だからだ。そこにあるのは義務であり社会の決め事なのであって、善意や配慮だけではない。

 ところが、昨今の議論を見ていると、氷水でも老人介護でもそうだが、なぜか話が美談になったり義務になったり同調圧力になったりする。困っている人たちが置き去りになっているというか、氷水を被る寄付のマーケティングがファッションとして消化されて、誰がやった、誰から頼まれた、どういう動画が上がった、あいつの被りっぷりはどうだ、という話になってしまう。せっかくだから、おおいに氷水をかぶる話と一緒に、ALS患者の現状や、困っていることを話してくれれば、一人でも二人でも、一生ALS問題に向き合っていこうという人も出るのかもしれないが、私の観測範囲ではあんまりそういう人はいない。

 寄付というか、慈善事業というのはそういう話じゃないはずなんだがなあ。

 何より、これからの社会保障の問題は私たち全員が直面する問題であって、氷水では絶対に解決しない衰退と貧困との戦いであることを良く考えておかなければならない。それは、弱者にしわ寄せが行きますよという話と、いつでも私たちが弱者に転落する可能性があるんですよという話との両面なんだよね。

 逆に言えば、何にコミットして、何にコミットしないかという判断を突きつけられる時代になるんだ。そして、コミットが得られなかったステークホルダーは崩壊する。ALS患者の影で、他の難病への民間からの寄付がちょっぴり減ったかもしれない。高齢化したある自治体は利便性故に投資の対象となり、その隣の自治体は消滅に追いやられるかもしれない。いつの間にか切り捨てられる側になる時代に差し掛かっていることを、氷水の議論をすると共に私たちは語る必要があるんじゃないのか。

チェーンメールが社会通念上良くないと言われている一番のポイントは、そこに書かれていることが真実であるなしに関わらず複数人への送信を行うことを強制するよう書かれていることである。その内容が誰かを傷つけるものだったり(例:コスモ石油有害物質騒ぎ)、社会的混乱を巻き起こすものだったり(例:佐賀銀行取り付け騒ぎ)しても、強制されるので仕方なく多人数に拡散してしまう。ALS Ice Bucket Challangeは社会的混乱は起こさないが、誰かを傷つける可能性はなくはない。実際怪我している人もいるわけだし。

とはいえ、今回のALS IceBucketChallangeに限って言えば、これだけ話題になってしまった結果どの選択肢を取ったとしても誰かにDisられる、つまりリアル不幸の手紙状態になっているってことが個人的に一番きつい。

働きすぎで身体壊してからは 心の中で松岡修造さんと高田純次さんと私の三人で話し合って方針を決めるMAGIシステムを採用してるのですが、これがすこぶるうまくいくので超お勧めです。

(via c610)

もし、現在「芸人たちの悪ふざけが面白くない」と思っている人たちは、おそらく「芸人の世界」がうらやましくもなんともない、興味もない人たちで、だが、自分の興味のある世界、たとえば野球界やサッカー界やファッションモデル界の関係性になら、興味を持つ人たちだろう。

つまり、「芸人の内輪の悪ふざけが面白くない」と思っている人たちは、「違う、自分たちの好きな内輪を用意しろ」と言っているだけ、ということになる。 そして、みんなが必死で個人主義に走った結果、「だれもが入りこめる、憧れるような『内輪』」は、とうの昔に消滅しているのである。

コミュ障がどうので辞めて行った人が、別の会社でそれなりにやっていけてるらしいのを聞いて、コミュニケーションの責任は一方だけにあるのではないというのを感じずに居られない
(via mug-g)
デスマで人が育つなら、今頃日本はスーパーエンジニアだらけだぜ

https://twitter.com/sonson_twit/status/501929234613293056 (via bgnori)

旧日本軍の悪口はやめるんだ! ……あれ?

(via tamejirou)

大好きなラーメン屋がネットで酷評されてて足が遠ざかった。観たいと思ってた映画を評論家が★1つで「時間の無駄」と書かれてて観なかった経験がある。先日久々に食べたラーメンは旨くDVDで観た映画は面白かった。基準を外に託すと誰かに聞かないと幸せかどうかすらわからない化け物になってしまう
Twitter (via gearmann)
私も親にゲーム機を没収されたことは多々ありますが(さすがに壊されることはなかったけど)、それで「よっしゃ勉強するか」などとは一度も思ったことがないです。
「ハンマーしか持っていなければ、全ての問題は釘に見えるものだ」心に刺さる